これまでもこれからも、“いい自転車” を作り続けます。
ミヤタサイクルは、自転車を作り続けて133年。
日本初の安全型自転車を製造したメーカーとして、数々の歴史を作ってきました。
特に、スポーツ自転車の分野においては、数々の輝かしい栄光に彩られています。
1976 年、日本におけるスポーツ自転車の黎明期であったこの年に、
ミヤタサイクルは西ドイツ(当時)・ケルンで開催されたサイクルショーへ、
高級スポーツ自転車を出品。
日本の完成車メーカーとして初めて参入を果たしたのです。
1979年には、ヨーロッパのサイクルプロチーム「アイスボルケ・コガミヤタ」に、
日本の自転車メーカーとして初めてレーシングバイクを供給。
1981年には、自転車レースの最高峰である「ツール・ド・フランス」において、
ピーター・ビネン選手が超級山岳のラルプ・デュエズを登る
第17ステージを制してステージ優勝を飾り、その後も全行程を完走し、
総合5 位入賞と栄光のマイヨ・ブラン(新人賞)を獲得する快挙を達成しました。
その後もミヤタサイクルの快進撃は止まらず、
1986年には「USトライアスロン・シリーズ」で、
スコット・モリーナ選手がミヤタトライアスロンレーサーに乗り
チャンピオンシップを獲得。
1990 年には自転車世界選手権MTB ダウンヒル部門で
グレッグ・ヘルボルト選手が優勝すると、
1994 年自転車世界選手権個人ロード女子部門では、
ミヤタのロードレーサーを駆るモニカ・バルビック選手が優勝するなど、
その高い戦闘能力を世界に見せつけてきました。
その活躍を支えたのは、プロレーサー選手の要求する
強度と軽さを実現した「SSTBチューブ」や、最強クラスの強度を持つ
圧入接着工法「APA工法(現在はさらに進化したPFT工法へ継承)」といった、
ミヤタサイクルの高度な技術です。
これらの技術とノウハウは、E-BIKEをはじめ、
ミヤタサイクルの最新製品にもフィードバックされています。
これまでも、そしてこれからも。
日本にはいい自転車がある。